東京栗峰の方にはお世話になりました。

 2023年の3月31日を持ちまして定年退職となり、実家の故郷である高清水へ戻ります。
 私の事務局への関わりは、S60年(1985年)27歳の時に初めて高橋高男(中35回鴬沢)先生の同窓会事務所(文京区湯島)に伺って以来、事務局である高橋高男先生に2年間、高橋治雄(7回鴬沢)先生に11年間、佐藤公輝(15回築館)先生に21年間、計33年間もお世話になりました。
 若き頃は、総会に出席しても、右を見ても左を見ても周りは「おずんっつあん」ばかりであった。議事を聞いても何を論じているのやら、ただ食事や飲み物が楽しみで行っていただけであったと思います。
 唯一、鈴木文章(25回石越)先輩、小野寺寿美男(27回若柳)先輩、同期の大和眞二(28回金成)君が出席していたので継続参加が出来ました。
 特に会報の編集作業では、4名で15年間も続けられた事、当時は携帯電話、パソコンも無く国語辞典を持ち寄り誤字、脱字の訂正等、半日かけて今では考えられないくらいのんびりしていたと記憶しています。その後も継続して編集作業に加わり、今回の第40号まで携わることが出来ました。
 会報を通じ先輩、後輩、母校在校生の息吹を常に感じ取ることが出来、更には自分の血となり肉となり、有意義な人生を歩んで来れたことに感謝しています。
 これからは、同窓会東京支部栗原支局として、常に情報を発信続けて参りますので、会報発行を継続されるよう、あらためてお願い申し上げます。
 私への連絡はこちらにお願いします。実家:〒987-2128宮城県栗原市高清水佐野丁26番 携帯090-4969-6591 Juichi_Abe@hseko.co.jp(携帯番号、アドレス変わりません)

Tel/Fax 0228-58-3205  阿部重一(28回高清水)

「阿部事務局長 長い間ご苦労様でした!」〜東京支部顧問 佐藤公輝

 
1 阿部重一事務局長が会社を退職して高清水に帰るということを聞き、大変驚きました。定年後に故郷に帰って生活できるということ、まして奥様が大賛成などということは、老後の理想的な生活を絵に描いたようなものです。
  ところが、我々東京支部のメンバーにとっては残念、困ったと言わざるを得ません。それが本音です。それほど阿部事務局長の存在は東京支部にとって重要なものでした。
2 阿部君(以下、こう呼ばせていただきます)と私の出会いはいつだったのか、大分昔なので思い出せませんが、本人が書いているところによると昭和60年(1985年)から東京支部の活動に関わっているということですから、今から37~38年ほど前ということになります。阿部君はまだ30前、私は40過ぎた頃です。最初から会報の編集委員にされたのではないかと思います。私も会報第5号から編集委員長に任命され、阿部君、鈴木文章君、小野寺寿美男君、大和慎二くんらと、一生懸命会報の編集をやりました。当時も会報の編集業務は大変だったはずですが、あの頃のことは楽しかった部分だけ思い出として残っています。
3 平成13年、私が、髙橋治雄先輩の後任として事務局長を押しつけられ、やむを得ずお引き受けすることになりましたが、この時期も阿部君は事務局長の補佐役として私を助けてくれました。私が会長となった後は、阿部君に事務局長に就任していただきました。阿部君は上場企業の部長職にありながら、事務局の仕事を大変よくやってくれました。阿部君のメールは早朝に送信されることが多いのですが、これは多分事務局長の役目を果たすために早起きして会社に早出してメールを送ってくれたのでしょう。他の人には真似のできない誠実さです。
4 阿部君は築高同窓会だけではなく、東京高清水会はもとより、東京花山会や、ふるさと協議会の世話もしています。東京築館会の再建にもいろいろ相談に乗ってくれました。いわば栗原の東京ふるさと会の中心人物です。私が阿部君に、そんなにあちこちの世話をするのは大変だろうと言うと、彼は、いやいや大したことないです、頼りにされるからやっているだけですという答えが帰ってきます。実に頭が下がる思いです。高清水会や花山会も、阿部君がいなくなってかなり困った状態ではないでしょうか。
5 高清水に帰っても、東京支部の総会には必ず出席してくれると思いますが、できるだけ用事を作ってもらって頻繁に東京に来ていただき、一杯やりたいものと思っています。
それにしても阿部事務局長がやっていた事務処理をどのように引き継ぐのか心配です。


「ロスト 阿部」〜安倍事務局長が去った東京支部に今

 永年、同窓会東京支部に参画、貢献された阿部重一さんが勤務先の定年退職を機に、故郷の栗原市高清水に転居された。それとともに事務局長も勇退された。
今後は、実家の後継者(長男)となると聞いている。
 私たち事務局員は、「ロスト 阿部」に陥っている。
 そのようになるのは、無碍なるかなと思う。
 阿部さんの縦横無比のご活躍があまりに目覚ましいものであったからである。
 阿部さんは、築高の同窓会はもちろん宮城県のふるさと会にも積極的に参画された。そして、出身地の高清水から遠い花山会(はなやまかい)の事務局長まで引き受けていた。
 このような人物は、寡聞にして知らない。
 言葉を代えれば、私たちは、阿部さんの事務能力ばかりでなく行動力に依存してきたのである。大いに頼りになる存在であった。
 それゆえに「ロスト 阿部」に陥っているのである。
 しかし、嘆いてばかりおられない。新しい事務局長と共に同窓会活動を進めていかねばならない。ただ、誰もが阿部さんのようにはなれない。一人に頼るシステムではなく、事務局の協力体制を構築して、また継続して活動を推進してまいりたい。

宮城県築館高等学校同窓会  東京支部長 駒井隆治

阿部先輩へ、ありがとうございました。

 さかのぼること33年前、当時私は第一勧勧業銀行秋葉原支店(現:みずほ銀行)に
勤務しておりました。若干27才で初めて上野で開催していた東京支部同窓会に参加しました。
当時参加した感想は生意気盛りな青二才であり、僭越ながら「こりゃ、 年寄りの集まりだなー。周りを見渡しても若者は見当たらず、話が合わないなー」と恐れ多く気が滅入ってしまい、それ以後は参加していませんでした。
 そんな私を阿部先輩は毎年にように同窓会の案内を自宅へ郵送してくださり、気にかけていただきました。
 それから23年後、私が50才を機に銀行から現在の会社に転籍となりそれなりに時間が取れるようなった事から、いつも声を掛けてくれた阿部先輩への恩返しの気持ちもあり同窓会東京支部の末端でお役に立ちたいと事務局へ参加するようになりました。その時も阿部先輩は温かく迎えてくださったおかげで、気兼ねなく直ぐに事務局の先輩方と溶け込むこと出来ました。
 今般、同窓会東京支部の中枢として永遠に旗を振ってくださると思っていた阿部先輩が帰郷し事務局長をご退任すると伺い、大変ショックを受けました。
 まだ、私の気持ちの整理がついておりませんが引き続き築高同窓会東京支部を盛り上げていけるよう我々高32回卒同級生(大場君、多田君)が中心となり手を取り合って微力ながらお役に立てるよう一致団結頑張って参ります。
 最後なりますが、阿部先輩大変お世話になりました。帰郷されましてもお体ご自愛下さい。
また今後ともご指導よろしくお願いします。

松 伸太郎(高32回卒)

阿部さんへの感謝の言葉。

 阿部さんには永年にわたり築館高校同窓会東京支部事務局の牽引役としてご尽力いただき感謝申し上げます。貴殿がいなければ今回40号となる「東京栗峰」もここまで継続しなかったのではと敬意を表したいと思います。
 阿部さんはボランティア精神の溢れる方で、知り合って初めて驚いたのは、築館高校同窓会だけでなく、高清水出身なのに東京花山会の事務局長まで引き受けて活動されているのを知った折りでした。正直なんで?と思った訳ですが、存続の危機にあった東京花山会を何とかしたいとの阿部さんの郷土愛、栗原愛あるいは頼まれると断れない優しさ、寛容さなんだろうな、と感銘しました。
 この度、高清水に帰郷されるとお聞きし、同窓会としては阿部さんの存在の大きさから喪失感大ですが、しっかり人生の決断をされた事を我々も重く受け止めたいと思います。
 どうぞこれからも健康に留意され、奥様と仲良く有意義な毎日を過ごされることを祈念もうしあげます。

玉井順一

阿部さん、大変大変お疲れ様。

 事務局長として、長年の豊富な経験で東京支部を今日まで支えていただき本当にありがとうございました。ずーっと阿部さんに頼ってばかりで、心配することなく事務局会議に参加できていたんだなと改めて思います。事務局会議のメンバーもみんな同じ気持ちではないかと思います。総会の準備、案内の発送作業、栗峰発刊までの編集会議など、みんなで和気あいあいと楽しくできたことは、阿部さんの人徳のなせる業でしたね。
 今後は、みんなで分担し協力し合って事務局運営をしていかなければと思っています。私的にも写真展には何度も足を運んでくださり本当に感謝しきれません。ありがとうございました。
 田舎に戻ってからも、そのうちきっと同窓会のお手伝いをされるのでは?とかってに思ってしまいます。生活が落ち着くまでたいへんかと思いますが、お体に気を付けてお過ごしください。がんばってください。これからは、田舎に帰ったら阿部さんに会える楽しみが増えてうれしいです。

三好加津子