仲間のみさんはそれぞれ楽しんでいます。

僕たちは卒業、上京して何年経ったのだろうか?

 あの築館高校卒業式の日。僕は洗い立ての学生服に身を包み、いつもの自転車に乗り学校へ。履いているのはシューズではなく「下駄」です。男子高校の自分は皆「下駄」ばき通学。どんなに寒くても、雪が降ろうと、雨になろうが履き物は「下駄」だけです。帽子に取り付けられた「校章」を手前に曲げて、みんな不良のまね。現在は男女共学となり、残念でもあり、チョッピリ羨ましい気持ちもします。


都心のさくら坂と駐日公館。(白鳥一道 玉沢 24回

(1)六本木一丁目、六本木通りからANAインターコンチ横の坂に木標[さくら坂]が在り、75本にさくら並木が続いてます。

(2)坂途中に在る4ケ国の駐日公館の集合住宅

(3)さくら坂のさくら並木

(4)さくら坂を登り切り左側に駐日アメリカ連邦大使館と公邸

 

日本の中のオランダ王国。(白鳥一道 玉沢 24回

 大使館公邸内部をさらに進むと、オランダと縁深いゴッホのひまわり(レプリカ)が飾られ、ヘリット・リートフェルトの赤と青の椅子、広間の解放的な床等御覧下さい。

 

事務棟は、湾曲した扇形になっていて、長崎出島則の形を模していると言われてます。屋上に砂利を置き暑さ対策をする特徴の有る建屋です。添付写真は施工会社が大使館側に竣工時に作成贈呈した物、当社で  2008年改修計画時期に許可頂き撮影した物です。一部2022年チューリップガーデン一般公開時の写真含みます。


 さて大使館公邸内部のご案内に移りますが、主に2022年にチューリップガーデン一般公開の写真を説明して参ります。公邸玄関口を入ると右側に、2013年に就任した第7代国王のウィレム・アレクサンダー、マクシマ・ソレギェタ女王の写真があり、左側には江戸幕府がオランダ船の航行を許可した朱印状(レプリカ)が感心を呼びます。

 

鳥居坂と駐日シンガポール共和国公館
麻布十番から六本木に抜ける途中、六本木5丁目に約200メートルにおよぶ急勾配の坂を鳥居坂と称され、その昔鳥居家の屋敷が有ったとの由来から!此の坂の名とされています!、さかのぼる事関ヶ原直前、大阪城を徳川家康が去り、西軍が家康討伐の第一の関門が伏見城に[捨て殺し]と称された[鳥居元忠彦右衛門]が指名され防御に隠った徳川普請大名。[どうする家康]でも描かれています!→写真は鳥居坂、白鳥撮影、鳥居元忠彦右衛門はNHKのどうする家康公開写真を活用。
此の坂を息を切りながら、登り切ると右側に広大な[ドングリの森]含む敷地が広がります!此の敷地が駐日シンガポール共和国公館になります。公館事務棟、大使公邸、職員アパートメント、庭園からなる複合施設になります。

此の坂を息を切りながら、登り切ると右側に広大な[ドングリの森]含む敷地が広がります!此の敷地が駐日シンガポール共和国公館になります。公館事務棟、大使公邸、職員アパートメント、庭園からなる複合施設になります。

此の箇所は公館内、庭園の一部で天候の良い日はレセプション等も開かれると言われています。

新任大使の儀装馬車列復活 

新任の駐日大使が、日本の国家元首である天皇陛下に、自国の新任状を手渡す[新任状奉呈式]に皇居へ送迎を行う、宮内庁の[動く美術館]と言われる儀装馬車が3年振りに復活し、見学する事が出来ました!3月8日は、フィジー共和国、パキスタン・イスラム共和国の新任大使が各々臨まれました!(撮影: 白鳥一道  真山 24回生     

 


去る2月25日KKRホテルにて、第6回栗原市4高校懇親会が行われました。

(報告・撮影:大場政彦 真山 33回生)

各高校勢ぞろい-1

各高校勢ぞろい-2

各高校勢ぞろい-3


 

各高校勢ぞろい-4

お世話になったホテルの方々。
小野寺(築高)さんに尽力していただきました。

今年も皆さんに、福が来ます様に

今年も皆さんに、福が来ます様に

長持歌の熱唱!

文字甚句の熱唱!

 

何やら、久しぶりに親密なはなしをしているようです。

川口納豆(門田社長)を田舎より携えて来ていただきました。
大好評で、即売になりました。

川口納豆、大評判の販売です。

閉会挨拶!
また、お会いしましょう!


竹内敏信先生追悼フォトセミナー写真展のご案内

(三好加津子 築館 24回生)

写真家竹内敏信氏のフォトセミナー(最後の教え子)で私は6年間ご指導いただきました。
病気で亡くなられて1年が経ち、先生の追悼を兼ねて写真展を企画いたしました。
小さなギャラリーですが、メンバー9名のそれぞれ思いのこもった写真をご覧いただけたら幸いです。
日曜、祝日が休館日です。


ショパンの故郷を訪ねて (三好加津子 築館 24回生)

ショパンは、故郷のポーランドに帰れる日を想って病気療養していたが、スペインのマヨルカ島で帰郷叶わず病死した。
ショパンが戻りたかっただろう生家、親しんだ公園、風景などを展示しています。

ワジェンキ宮殿(水上宮殿)

ショパン像(ワジェンキ公園)

ショパン生家・博物館公園入口

自然が美しい広い園内

ショパンの生家


趣味の写真クラブに所属しています。

私の楽しみの旅行記

 定年退職後、現在は認知症予防専門士の資格を生かしながら看護師として「NPO法人たんぽぽ会」で高齢者サロンや子ども食堂のお手伝いをしています。認知症予防体操や脳トレなどを担当し、利用者の皆さんと楽しくし、私自身も癒され、毎回楽しみにしています。築高同窓会の事務局運営に参加、職場の退職者OB会役員、趣味の写真クラブでは2つのグループに所属、区民農園を借りて野菜作り、楽しんでいます。
 そんな中、コロナ禍にあっても感染減少時期に東北、北陸、房総に出かけ、写真撮影を楽しむしたたかさも見え隠れするこの頃です。(三好加津子 築館 24回生)


懐かしい「赤坂迎賓館」でのアルバイト。玉井順一 鶯沢 23回生)

 鶯沢出身の玉井順一です。今年の9月に古稀となります。60台最後の年の思い出にと、コロナ禍ではありますが、ささやかな趣味の近郊散歩を重ねております。先日までは花見の毎日でした。先日48年ぶりに「赤坂迎賓館」の見学に行って来ました。迎賓館は昭和の大改修があり、学生時代のアルバイト現場なのです。それが縁となり、建設会社に入社することになった思い出の場所です。いま思えば18歳で上京してただいま69歳。故郷で過ごした小中高時代も懐かしいこの頃になりました。高校同窓会もなかなか開催出来ませんが、また皆さんとお会いして「訛り懐かし」の時間を持てたらと願ってます。

赤坂迎賓館」に行って来ました。48年前に昭和の大改修があり、学生時代はそこで土木のアルバイトをし、それが縁で建設会社に入社となった思い出の場所です。

18歳で上京してから69歳のこの頃です。「思えば遠くへ来たもんだ」の心境で、故郷で過ごした小中高時代も懐かしいこの頃です。


左から私、高橋、柿崎氏。

高校時代を思い出してテニスを始めました。

 高校テニス部の先輩の柿崎恭彦氏高橋啓二氏に誘われて2年目になります。インターハイにも出場した高橋氏は、港区の「みつばテニスクラブ」に所属。クラブは高橋先輩が一番若く、他7085歳の10名程のメンバーで私は老人クラブかと思いつつ、初参加致しました。高校時代をイメージし、ラケットを振るもボールを空振り。こんなはずでは!更に悪いことに23分乱打しただけで、息が苦しく、足が絡み、ヘトヘトです。試合では完敗ばかり、本当に情けない初日でした。真夏は、コート面が40℃にもなる暑さで水分補給、そしてびっしょりの汗だく、しかし、その後のビール旨さは格別です。以来、何とか持久力をつけようと、一つ先の駅一つ手前の駅での乗り降り、往復1万歩を実践しています。あとはサーブ・レシーブ・乱打のテクニックを磨いて、クラブの皆さんを負かすつもりです。(阿部重一 高清水 28回生 )


早く正常な生活に戻ってほしい。

田舎の仲間に会えるのが楽しみです。

 私が、同窓会に参加したきっかけは、さかのぼること約15年位前の一通の同窓会案内でした。田舎の懐かしさもあり、出席しました。それ以来、諸先輩にも会うことが出来、田舎の情報や、その他、楽しい時間を過ごすことが出来ます。事務局スタッフとなっておりますが、諸先輩に微力ながら出来ることはお手伝いをさせてもらっています。北京オリンピック、パラリンピックと世界のスポーツマンが集まり友情を深めている中、21世紀は、対話の時代と言われており、ウクライナとロシアの争いが勃発して、コロナウイルスによる騒動も一日も早く収まることを願っています。(大場政彦 真山 33回生)


 
なぜか不思議な縁を感じて。(佐藤幸也 志波姫 28回生)

高知県に講演に行った時、飛行機で乗り合わせた方を紹介します。
 酒場詩人としてお馴染みの吉田類氏です。竜馬空港に降り立つや否や高知市内の居酒屋に直行し、呑み明かしました。
 その後にレンタカーで県内をめぐっていたら、なぜか全く見知らぬ道を導かれるままに行き止まりの薄暗い窪地につきました。なんと、ビックリ!そこは長宗我部元親たちの墓でした。私にはそうしたことがよくあり、全く見知らぬ土地なのに、前から知っていたようにたどり着くと真田幸村の墓だったとか、また鹿児島では秀吉の侵略で島津義弘が連れ帰ってきた朝鮮の陶工、十四代目の沈壽官(チン・ジュガン)先生の家でした。
 私が安重根の研究者であり韓国の大学生などを教えていたこと等を話すと歓迎していただきました。
 その後の九州農政局と鹿児島県庁、JAグループなどの共同で開催された農業政策や食農教育問題をテーマにしたシンポジウムの基調講演とパネリスト、南海テレビの収録などの仕事も無事終了。
 沈家の陶器の技術は薩摩藩の最高機密でしたが。この秘密が洩れて伝承されたのが伊万里と有田焼です。この時も、町場を離れてどんどん坂を上って行ったら行き止まり。なんと、そこが伊万里・有田焼をもたらした陶工の末裔の住む家でした。今、「鎌倉殿の13人」が放映されていますが、その重臣の一人の武田氏が朝鮮系です。この武田氏と関係が深く、その技術が紅花栽培と染め物です。それは宮城県の村田町で継承され、山形県では最上川沿いに発展し港町酒田の繁栄を支えます。
 なぜか不思議な縁を感じ、私はそうした研究をしています。

吉田類氏と飛行機で乗り合わせ意気投合。

酒場詩人の吉田類氏(https://bs.tbs.co.jp/sakaba/)と私です。


 

孫のお宮参りの写真です。

 

同窓会東京支部長を努めています。

 かつて築館町には2つの県立学校があり、築館高等学校と築館女子高等学校で「男子校」「女子高」と呼ばれていました。時は流れて、両校の統廃合に波に流され、新制築館高等学校となりました。校歌も新しくなりました。それに伴い、同窓会も統合しました。同窓会まで統合した学校は多くはありません。
 両校とも、もとは両親・兄弟姉妹や叔父叔母らも通った身内のような学校であったということもあり、高校のよさを生かし同窓会活動が継続されています。
 東京支部においては大変和やかな雰囲気で楽しい同窓会活動を行っております。特に、夏の東京支部総会・懇親会には、100名近い参加がありました。しかし、この2年間は、コロナ禍のため、開催しませんでした。今年は、感染防止の対策を講じて開催する予定です。
また、毎年発刊される『会報栗峰』という冊子も大変ユニークな編集です。ぜひ、母校をめぐる人との再会や思いがけない出会いがあるかもしれません。首都圏の同窓の皆様にもこのような場に居合わせていただければと思います。
(駒井隆治 築館 23回生)

 


・東京栗駒会 旧栗駒町出身者の東京でのふるさと会

さる、1/28(土)東京栗駒会新年会が、ベルモントホテル(浅草橋)で開催されました。
 約40名の参加者で3年振りに、2時間の予定を遥かにオーバーし、久し振りに皆さん懇親を深める事が出来ました。
我が同窓生としては、下記の方々が参加しました。
●在京一迫会 会長 熱海光顕(13回一迫)
・東京鴬沢会 会長 千田英雄(23回鴬沢)、玉井順一(23回鴬沢)
・東京高清水会 会長 一條實行(12回高清水)
・東京花山会 阿部重一(28回高清水) 
  その他、旧鴬沢町、花山村、一迫町、築館町、志波姫町、若柳町、高清水町、瀬峰町(本年度会を終了)
  各会とも年1回総会懇親会を開催し、懇親を深めております。

栗駒会 久保田信子さん、一迫会長 熱海光顕氏(13回一迫)、栗駒会 佐々木くに子さん


栗駒会 久保田信子さん、一迫会長 熱海光顕氏(13回一迫)、岩高会支部長 長沼和秋氏


演芸 成田家 笑仙さんを囲んで